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母が「要介護2」の人となった

母に介護認定の結果が出て、晴れて要介護2の人となった。

要介護2だと介護サービスを通常料金の1割負担で受けられるというのだ。ヘルパーを自費で雇うと1時間4000円のところ、400円でいいという。

なんと。

そもそも4000円が高いか安いかわからないし、それが急に400円でよくなるっていうのもすごいし、なんていうか、歳をとって体が不自由になったら人間は確実に違うタームに突入するということを目の当たりにして、正直、とまどっている。

要介護認定が出るまで地域支援包括センターの人やケアマネージャーさんに相談したり、なんだかんだとすごく気ぜわしかった。すごく気ぜわしくなってしまうのは、福祉の仕事の人たち自身が抱えている案件が多すぎて気ぜわしいからではないか、と穿った見方をしてしまった。なんだかすごく早口の人が多くて…。一人のケアマネージャーさんが20以上の案件を抱えているのが普通だそうだ。そんなに抱えなきゃいけないのは給料が安いからだそうだ。よくないよ、と思う。こういう仕事こそ好待遇にしていかないと、社会はだめになるだろうと思う。滅びるよと思う。

おかしいな。

今年はなんかもう少しのびのびと好きなことに注力しようと思っていたのだが気がつけば私は家族にごはんばっかり作ってる。家事ができなくなった母に朝と昼ごはんを作って、家族の朝ごはんと夕ごはん。あいまに仕事して、楽しいことはほんのちょこっとスキマでする感じ。こんな感じであっというまに1年とかすぎちゃいそうだな

なんかいやだ。

でもどうしようもない。

外飲みしたり外でごはん食べると翌日なんかお腹の調子悪くなってしまうし、あと最近ずっと耳鳴りがする。昼寝しないと頭痛がするし、多分いや確実に更年期。

なんかいやだ。

でもどうしようもない。

昨日、音楽フェスで聞いた「わたし閉ざしつつ内面は晒して歌い上げます」系30代女性アーティストに「なんかこの女ムカつくわ」とか思ってしまって、あーあだめだ私と思った。

そんなことをつらつら思っていたらふいに大学時代の恩師・詩人の鈴木志郎康先生の過去作品を見る機会をいただいて。見たらなつかしいでもなく、なんだかホッとしてしまって。そして、私と気の合う人が死んでしまったんだなあと思った。もっと歳をとったらこんなふうにどんどん気のあう友人たちも死んでいって、自分がとり残されたら寂しいなあ。家族は好きだし大事だけど私のことを完全に理解することはないだろうし、気はあうのかあわないのか…そういうものでもないし、うちは私以外全員男(夫・長男・次男)なのでなおさら思っていること言っても伝わらない、という気分になることが多くて。仕事はフリーだからいつあっさりなくなるかもわからないし、吹けば飛ぶような身分で必死でしがみついてるのがやっとっていう感じだし、私は何にすがって生きていけばいいのかな。正直ホントにわからない。全然なんにもわからない。

そうしたらテレビで国会中継を放送していて、速攻消した。バカみたい。なんじゃこりゃ。

 

追記:お母さんの介護のことは息子たちが関わりたくない、聞きたくないらしいのでweb上で発信(発散?)していきたいなあと思っている。書き散らす。あ、夫と兄は協力的です。

追記:ヘルパーさんが母の部屋の洗濯機が壊れているというので買い替えにアキバのヨドバシに行ったところ、待たされて、待たされている間に次々と違う店員が現れていろんなものを売りつけてこようとして、あげく、うっかりamadanaのウォーターサーバー契約してしまって、私本当にやばいなあと思った。うちで美味しい水飲むぞ。おりゃ〜。

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