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鈴木志郎康先生と話した。

5/16に自分がプロデュースするイベントが開催される。というか開催する。

それにあたってひどいことをしてしまった。ダサい、ダサすぎる。

いつも全然余裕がないから、日々やらなければならない仕事の中に自分の創作を入れ込むのはマジで脳がバグる。

全然余裕がないのになぜそんなことをしようとしているのか、自分でもよくわからないところもある。

 

それで、はた、と思い、今朝鈴木志郎康先生に電話をかけてみた。

先日、映像作家で詩人の村岡由梨さんの詩を読んで以来、先生と話したい!とずーっと思っていて、今日ふと、今だ!と思って電話をかけた。(村岡さんは先生の次男・鈴木野々歩さんの配偶者でもある)

 

先生とはもう何年も会っていない。2014年11月以来会っていないから、もう7年も会っていない。電話で話すのも3、4年ぶりくらいだろうか?先生は現代詩人の巨匠で映像作家でもある。もともとNHKのカメラマンから詩人・映像作家に転身したという経歴で、WEB検索すると、寺山修司とか谷川俊太郎とかと並んで出てきちゃった。「極私的」という言葉を生み出し、1960年代からいわゆる「自撮り」で映像作品を作り続けてきた私たちの大先輩だ。群馬県前橋文学館に確か先生の歌碑もあったはず。シロヤス先生は私の父とほぼ同い年で、父が死んだ時真っ先に会ってくれて(私が会いに行った)、私を救済してくれた人だ。

 

遊子 「先生、山本遊子だよ、覚えてる?」

シロヤス 「覚えてるよ」

遊子 「私の顔、覚えてる?」

シロヤス 「覚えてるよ、やまゆうでしょ。」

遊子 「わたしもう45歳だよ」

シロヤス 「えー、そうか。こっちはもう85歳だよ」

遊子 「先生、寝たきりなんでしょ?」

シロヤス 「もう介護だよ、介護される側。毎日ヘルパーさんがきて、今もテレビつけて寝たきりの状態で電話に出てるよ。家の中も手押し車でしか移動できないんだよ。」

遊子 「先生に会いに行ってもいいの?」

シロヤス 「会いに来ないで、疲れる!」

遊子 「ええ〜。そうなんだ。じゃあ今度会うのはお葬式?になっちゃうじゃん」

シロヤス 「お葬式じゃ、こっちは死んでるから会えないね。あはは」

シロヤス・遊子 「あはは。」

シロヤス 「毎日テレビをずーっと見てる。やまゆうは何してるの?」

遊子 「仕事してるよー。子供の塾代とか払ってるんだよ!だから働かなくちゃ」

シロヤス 「あーそうか、大変だなー。どんな仕事してるの?」

遊子 「テレビの仕事と、あとYoutube番組作ってるよ。先生Youtube知ってる?」

シロヤス 「知ってるよ。Youtubeってあの、数がないとダメなやつだ。」

遊子 「数?ああ、そうそう再生回数ねー。」

シロヤス 「大変だなあー。」

遊子 「先生はもう自分を撮ったりしないの?してよ。先生を映像で見たいなあ。先生自分を映像で撮らないの?」

シロヤス 「えーーやだよ、疲れるから。テレビ見てるだけでいいよ。」

 

とのことだった。超軽快な45歳と85歳の会話だった。

 

「ありがとう、じゃあまたねー」と言い合って電話を切った。

とっても元気そうで安心した。

先生は今日も私を救ってくれた。

多分、先生が死んでも、私を救ってくれることだろう。

今日もよく眠れそう。

 

よかった。

 

そして、数少ない私の映像作品、と呼べるものを2014年にと作ったことを、最近まですっかり忘れていた。

先生の詩をフィールドワークするというお題を社会学者の兄から出されて作った小さな作品。この映像作品は兄が主任研究員をつとめる公益財団法人政治経済研究所付属 東京大空襲・戦災資料センターに所蔵されている。2004年にコスタリカで撮った映像作品があって、それ以来、上映するタイプの作品を作っていないと思い込んでいた。それなりにできてるとは思うので予告編貼っておこう。(2004年に作ったコスタリカの作品についてはまたいずれ書きたい。)

 

 

 

2014年に作って、映像作家としてインタビューも受け読売新聞の記事にもなった!(小さい記事だけど)

わ・す・れ・て・た!

 

11月3日 お兄ちゃん企画のイベント「秋の平和文化祭」に参加

https://yukod.exblog.jp/23227200/

 

だいたいが2006年から2015年まで約10年つづった、このブログ記事すべてを(最後に書いた記事以外すべて)私は人から見られないように隠して鍵をかけていた。だから自分からも見えなくなっていた。30代、子供を産み育てながら一人で映像ディレクターの仕事を続けてきた記録。

ブログは1999年からやっているけど、1999年〜2005年のものは消してしまった。

2015年からこのブログを人の目に触れられないようにして、URLを現在の場所に引っ越したのは(過去の記録を自分の頭からも隠したのは)はっきりした理由があるけど、今日は書かないでおく。まあ、私の日記なんか人は興味ないだろうし、というのもあるし、日記を見せるというのはいったいどういうことかよくわからなくなった。でも、私が映像を作り続けてる理由がこの2006年から2015年までのブログの中にある。(今回この投稿の関連記事だけ鍵をあけてみた。)

この記事のカテゴリーは<仕事と創作>。わたしは<仕事>と作品を作る<創作>活動を分けない。

分けないと決めて、やってきた。

そういうことか、と。腑に落ちた。

自分の思考回路が複雑になりすぎてダメ。絡んで固く結ばれて流れがせき止められちゃってるところも多分にあって。だから創作しようとすると人に迷惑をかけてしまう…。完全に一人でできればいいけど映像は「撮る」ことをしないといけないからなあ。絵が描ける人は「撮る」ことをしなくてもいいのかもしれないけど、私は絵がそこまで上手くないからな…。

…。

続きはまた今度。

 

 

 

 

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