寄稿 〜作品解説〜
(MV “Peel Me A Grape” に寄せて)
ー姿態と死体はよく似ているー
演出アドバイザー・振付・スタイリング/ 高松真樹子
[Visual Advisor and Metamorphose Makiko Takamatsu]
ー大人の恋愛は、サスペンスホラーである Peel Me a Grape はとてもゴージャスな曲だ。 ゴージャスな女が「葡萄を剥いてちょうだい」って、女王様のごとく男にセクシーな言い回しであれやこれやと注文をつける。60年代のハリウッドがよく似合う、高級そうなラウンジで、ピカピカの新車で、女のすらりとした足にエナメルのピンヒールが黒光る。男はひとりなのか、大勢いるのかわからない。でも女はひとり。 この曲を聴いたときはそんな印象だった。 そしてクールでいて奥に慈愛を感じるような、とらえどころのない田辺美輪のボーカルが謎めいた魅力を放っていた。 奔放でわがままで可愛いだけの女じゃない。 どこか辛辣でそしてどこまでも甘く。 友人である監督の山本遊子からこのMVの演出アドバイスを求められた時、正直難しいなと思った。この曲の女は成熟した大人の女だからだ。 “一億総ロリータ国ニッポン”のコンテンツで成熟した大人の女の色香を映像で表現できている作品にほぼ出会った事がない。落ち着き払った淑やかさ、とかそんなステロタイプでは全くないのだ。 成熟は完成しない。大人の女はいくつもの仮面をもつ。多次元の彼女。 私と山本監督は美大映像学科の同期でもあったので打ち合わせでも映画の話ばかりしていた。ミュージックビデオ(MV)とはそもそも広告デザインの商業的な範疇なのかもしれないが私達が話をしているとどうしたって学生時代のように売れない実験映像のようなアイデアが湧き上がる。掘り下げていくなかで、一つのキーワードとなったのは、女側からだけで観ると「彼女の恋愛はホラー」。そして山本監督はこのMVをサスペンスタッチの「4分52秒の短編映画」として仕上げてきた。 おわかりいただけたであろうか? ー視る男と、浮世絵と、貴方の映画 図らずも山本監督含めほぼ全てのスタッフが女性で、女性アーティストをクリエイションしていく事となった。重要だったのはカメラマン一人だけが男性だったという事。 カメラマンのレンズと、この作品に登場する男の視線はシンクロしている。この作品上で男は女の対象となる存在ではなく、常に視る者としての存在なのだ。 ラストシーン。彼女に誘われ、たどり着く部屋は薄暗く古い時代の版画が積み上がった書斎。たった一人の時間に彼女は酒を酌み、歌に酔いしれ、たおやかに姿態を泳がす。自分だけの為に。シャンパンの泡と共に香気が弾けて消えていく。 誰に媚びる事なく彼女の声から滑り出されてくる艶かしい姿態は、愛が物体となった清らかな死体にどこかよく似ている。 壁に掛けられた、題は不明だが、豊国(歌川豊国?)画と思われる三枚続の浮世絵がこの世界の謎深まるデッドエンドとなっている。 桜満開の下、華やかな着物の芸妓風情の5人の女たちが祝宴をあげているようだ。そして女達に囲まれ中央に男が一人、女の足を支えている。 この絵を見ていると、梶井基次郎の2ページしかない短編小説『桜の樹の下には』の有名すぎるあのフレーズが耳をかすめる。 「桜の下には屍体が埋まっている!」 そして成熟した、完成しない、多次元の彼女のPeel Me a Grape の世界はこの小説の一節、ある男の観察眼から具体的に描かれていると感じたので紹介したい。 「一体どんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気の中へ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それはよく廻った独楽(こま)が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心をうたずにはおかない、不思議な、生き生きとした美しさだ…」 (「桜の樹の下には」梶井基次郎) これは監督の意図でも解釈でもなく、全く私が勝手に紡いだストーリーです。 この作品には貴方が観た貴方だけの4分52秒の短編映画があるはずです。 お楽しみ頂けたら幸いです。桜散った春の終わりに。
高松真樹子 Makiko Takamatsu(たかまつまきこ)
プロフィール
舞踏家・映像作家
美大映像学科で16mm film作品を制作する傍ら1997年頃より六本木にあった舞踏家、土方巽・元藤燁子創業の「SHOW CLUB 将軍」や、舞踏系ショークラブ「TOP SECRET」などでショーダンサーとして働く。2002年より舞踏家、大野一雄の高弟であった上杉満代に現在まで師事。女王様稼業や美術モデルなどしながら舞踏作品を創り、公演し、近年舞踏の映像制作も再開した。メタモルフォーゼする身体と空間を追求している。
(TEXT・高松真樹子 構成・山本遊子)