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父の命日

伊豆下田の夜の海と満月。

 

伊豆下田への夏旅は息子二人と夫とする定番の家族旅行。もう何度目だろう。6、7回くらい行ったのではないかな。

実を言うと伊豆下田は私が幼い頃家族旅行した場所だ。私が小学1年生か2年生の時、父、母、兄と、父の友人家族(碇さん)と友人夫婦(関田さん)と行った記憶がある。あの時の父は上機嫌で幸せそうだった。父は46、7歳くらいだったのかな。息子たちに父のことを話す時期はまだ先だけれど、父から受け継いだ「いいこと」を息子たちに伝えたくて私の家族と通っているところもある。下田はいつ行ってもなんとなく上品ですてきな場所だ。

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今日は父の命日だ。8/22だと思っていたが正確には8/23の夜中の1時か2時ごろ亡くなったのだった。26年経っても私の心の内側に張り付いて剥がれないできごと。子供たちにはまだ話せていない、父のこと。

父が亡くなった1998年はまだSNSもなくて、スマホも普及してなくて、私はブログさえもやっていなくて、だから、インターネット上に父のことを書き残しておくのはなんか違うなと思って躊躇していたけれど、今年母が要介護認定を受けて私が介護者となったこともあり(母の記憶力が低下して父にまつわる出来事を忘れていっている)、私自身もいつ死ぬかわからないし、なんとなく少しずつ書き残しておいたほうがいいかな、と気が変わってきた。

けれど、うまくは書けないし、自分がどこか父の性質を受け継いでいわゆる躁状態の時にやり散らかした跡がネット上にも現実世界にもそこら中に散らばっているので、なんというか反動でこの時期は鬱になる。あまりにも苦しくて昨日の夜なんとなく夫に話して気持ちを軽くしようと試みたけれど、そう簡単なことではないな、と夜中に目が覚めて思う。自分以外の人間に話してみても軽くならない。父は重度の躁鬱病で、私が育った家庭はずっとそれに振り回され、重く辛かった。その辛さはトラウマとも違う、私自身が永久に囚われて逃れられない運命とでも言うのかな。この気持ちを自分以外の誰かと共有したいわけでもないし、子供達にはこの性質を受け継いでほしくないので話していない。子供達がここを見ることはないだろうし。

ただ、時々、暗闇というか深淵というか、音のない真っ暗な世界みたいなところに連れて行かれそうになるのでまだ早いだろと踏みとどまるためにここに少しずつ書いて自由になっていこうかな、と思う。だけど暗闇の方が居心地がよさそうで困る。それくらいには大人になった。

そして、まあいないと思うけど、この投稿を読んで少し心が軽くなる人がいたら、いいなと思う。というか読んでもらえると心が軽くなる。やっぱり共有したいということなのかな。でも共有ってなんか図々しくてみっともないことのような気がする。

だからこの投稿を拡散することはない。ただ、公開はしておこうかな。

お腹へったなあ。朝の4時だ。今日は仕事もしないとなあ。

今日もちゃんと生きよう。

 

 

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